- 退職するまでに何があったの?
- まわりから期待されているのに、なんで退職しちゃうの?
ぼくは6年近く勤めた会社を退職しました。
退職する際に退職理由を聞かれましたが、まわりの方は気を遣ってか、詳しい理由は聞かれませんでした。だけど、中には「どうして?」と気になる方がいると思っています。
そこでこの記事では、
- ぼくが退職した理由
- 辞めるまでにどんなことを考えて行動したのか
を詳細に説明します。
突然辞めたように見えるかもしれませんが、実は長い時間をかけて悩み、考え抜いた末の決断でした。
少しでも思いが伝われば幸いです。
退職までの経緯を時系列順でまとめた
ぼくが退職するまでの経緯を時系列順でまとめてみました。
2019年4月 | 入社 |
2019年8月 | 配属 |
2020年6月 | 睡眠障害になり始める。 ・布団に入っても寝付けない。 ・寝ても2時間起きに目覚める。 |
2020年7月 | 睡眠障害で体調が悪くなる。 なかなか良くならず会社を4日休む。 産業医と面談し、精神科受診を勧められる。 |
2020年8月 | 精神科受診。 特に病名は付かず「もう少し頑張ってみよう」と言われる。 これ以降も睡眠障害が続く。 |
2020年11月~ | 月2回の頻度で体調が悪くなる。 会社を休む日が多くなる。 |
2021年7月 | 本を読んで「自分のやりたいことは違うでは?」と思い始める。 |
2021年11月 | 体調不良が続くのでもう一度精神科を受診。 「適応障害」と診断される。 |
2021年12月 | 医者から休職の指示はなかったため、以降も出勤を続ける。 自己理解に興味を持つ。 |
2022年1~5月 | 仕事をあまり任されなくなり、体調が少し回復。 |
2022年6月 | 異動になる。 異動後は睡眠不足になる日があっても、体調を崩しづらくなる。 |
2023年1~3月 | 転職活動をしてみる。 転職エージェントと面談。転職は諦めた。 |
2023年3~6月 | 自己理解プログラム |
2024年7月 | また睡眠障害になり、体調を崩しがちになる。 →退職を決意する。 |
2024年8~9月 | やっぱり会社を続けようか、迷う。 |
2024年10月 | 上司に退職を申し出る。 |
2024年11月 | 親に退職を伝える。 |
2025年2月 | 引越し&退職 |
退職理由は主に3つ
続いてぼくが退職を決めた理由を詳しく説明します。
退職理由1 体調不良を治したかったから
会社を辞めた一番大きな理由は、4年以上続いていた体調不良を完全に治したかったからです。
■入社3年目に適応障害になった

ぼくは入社3年目に適応障害になりました。
適応障害になった原因は以下です。
- 仕事
- 最初に配属された部署が合わなくて、自信を失った。
- モノづくりの仕事だが、自分が関わっている製品に興味がなかった。
そのためか、仕事に必要な知識が全然覚えられない。
周りの同期はどんどん知識を付けて、一目置かれている。
自分だけが取り残されている気がして、自信を失った。
- 環境
自分は東京出身。
だけど入社後の配属先は関西(郊外)。
23年首都圏に住んできたので、最初は慣れなくてストレスだった。
上記によって、以下の症状が出ていました。
- 眠いのに眠れない。寝ても2時間ごとに目覚める。
- 急に悲しくなって涙が出てくる
- 人と関わるのが怖い
- 本音を言えない
- 身体がだるくて、動けない←末期
※症状の詳細はこちら↓に詳しく書きました。
病院では「首都圏に戻れば治るだろう」と言われました。そのため本当は休職したかったのですが休職できず、薬も処方されませんでした。
「会社を辞めて関東に帰ろうかな」と考えましたが勇気が出ず、結局何もできずに時間が過ぎていきました。
■部署異動で少し回復。でも不調が残る。

その後、部署異動になりました。
前の部署よりは自分に合っていたので、少しずつ症状は良くなっていきました。しかし完璧に治らず、一部の症状は残ったままでした。
- 人が怖い。本音を言えない。だからうまく人を頼れない。
- 睡眠障害になりやすい。一度始まると連続しがち。
- 外出が億劫。疲れやすい。
- 肌がかゆい。急にアトピー体質になった。
- 胃腸の調子が悪い。便秘と下痢を繰り返す。
でも、これ以上改善させる方法がわかりませんでした。
考えられる原因が複数あるからです。
一番考えられるのは「睡眠時間が足りていない」こと。
家の場所の都合で5:20に起きていました。おそらくそれが自分に合っていない。
だから勤務地を変えず、より睡眠時間を確保できる家に引越すことも考えました。
しかし、
- 働きながら1人で引越し作業は、あまりにも大変すぎる。余計に体調悪くなりそう。
- 原因がはっきりしていない状態で引越しをして、それで症状が改善しなかったら、引越しにかかる費用や時間、労力が無駄になる。
- わざわざ引越すんだったら関東に帰りたい。
と思い、行動には移しませんでした。
■異動から2年、また体調が悪くなった
異動から2年経った2024年の7月、また体調が悪くなりました。
毎年7月は体調悪めですが、前の年と比べると症状は悪化している傾向です。
特に睡眠障害。睡眠不足で7月はずっと身体がだるい感じが続きました。
■不調のまま30代を迎えたくなかった→退職

「関東帰って1年くらい休みたいな・・・」
入社3年目で適応障害になって以降、ずっと心で思っていました。
ぼくが最初に体調が悪くなり始めたのが24歳のときです。
再び体調が悪化したのは、29歳の誕生日を迎える1ヶ月前のこと。
気づけば20代の半分で、不調に悩んでいるのです。
体調を気遣って、あまり行きたいところに行けていないですし、やりたいこともできていない状態。
住みたいところにも住めていません。
ただ我慢しているだけで20代が終わりそうでした。
どんな20代だったか聞かれても「体調不良に悩まされた20代だった」と答えるしかありません。
そう考えるとすごく悲しくなりました。
「いま死んだら絶対後悔する」
そう思いました。
だからこそ
「不調のまま30代を迎えたくない。30代は生き生きと過ごしたい!」
「だったら退職して関東帰って不調を完全に治そう!」
と本気で思い、不調で悪化し始めていた2024年7月末、退職を決意しました。
退職理由2 別の道を探ってみたかった
■機械の設計に興味を持てていなかった

大学では機械工学を専攻していました。
その流れで入社後は機械設計の仕事をすることに。
でも、正直なところ、機械設計に興味を持てませんでした。
「もっと知りたい!」「深く学びたい!」とは思えないのです。
次第に「違うことがやりたい!」と思うようになりました。
■やりたいことを探して試す

そこで、本を読んだり自己理解をしたりして、自分のやりたいことを探しました。
そして、少しずつ自分のやりたいことが見えてきました。
ただし、例えやりたいことが見つかったとしても、機械設計者以外の仕事をするなら、未経験からのスタートです。おそらく転職は難しい。
そこで、まずは仕事以外の時間で趣味として「やりたいこと」を小さく試すことにしました。
■得意を活かし、期待されるようになる
自己理解をしたおかげで、会社では得意を活かせる場面が増えました。
仕事で褒められるようになり、少しまわりから期待されるようになりました。
それがぼくはすごくうれしかったのです。
前の部署で失った自信を少し取り戻せました。
「あんまり興味湧かないけど、このまま続けてもいいかも。」
そう思うようになりました。
■期待が重荷になり始める

まわりから期待されるようになったからか、仕事が増えるようになりました。
やりたい仕事ならいいのですが……
正直やりたくない仕事を1つ任されてしまいました。
でも原因は自分にあります。
事前に上司から「これをやってほしい」と相談された際に、断れなかったからです。
やりたくなかった理由は異動前の部署との関わりがあるから。たぶん仕事を進める中で、また嫌な気持ち思い出して、心が重くなるだろうなと思っていました。
だけど
「期待されるのはうれしいし……自分しかできないよな……やってみないとわかならいし……」
と思って、引き受けたのです。
まわりの期待に応えようとして、自分の「本当はやりたくない」気持ちを押し込めてしまいました。
いざ仕事に取りかかると、予感は的中。
会議に参加する中で、「やっぱりこの雰囲気苦手だな……自分は歓迎されてないよな……」とまた自信を失いました。
その影響か、体調がまた悪くなったのです。
■頑張るほど、自分がつらくなると気づく

そして、ふと気が付きました。
「このままだと、今後どんどん自分がつらくなるのでは?」と。
このまま得意を活かして頑張ると、どんどん幅広い仕事を任される。
そうすると、
- どんどん機械関係の幅広い知識が求められるのでは?学ぶ意欲が湧かないのに?
- 苦手な仕事、嫌な仕事がどんどん増えるのでは?
想像すると、気が重くなりました。
「残り30年以上このまま耐えられるのか?」
「今の自分では正直無理……」
そう思いました。
■集中してやりたいことをやってみたい→退職

体調に影響が出たことで、仕事以外の時間を体調回復に使うようになりました。そのため、やりたいことを試す余裕がない……。
しかし、このまま何も行動せず仕事を続けても、どんどん自分がつらくなる未来が見え始めています。
悩んだ末、こう思いました。
「一度、集中してやりたいことを試してみたい。」
「その上で、今後どうするか決めたい。」
そして、退職理由1で書いた通り、体調を回復させたいという思いもあって、退職を選びました。
退職理由3 関東に帰りたかった

退職理由3つめは、関東に帰りたかったからです。
関東に帰りたかった理由は主に以下2つです。
❶ストレスをすべて排除したかった

退職理由1で書いた通り、住んでいる環境にストレスを感じていました。
そのため、「体調を回復させるために、ストレス源を一旦すべて排除したい!」と思い、退職して関東に帰ろうと考えました。
❷寂しかった
○はじめは1人でも楽しかった

先述の通り、入社後配属が関西になりました。
しかしぼくは東京育ちです。家族や友人は関西に一人もいないため、基本的に行動はいつも1人。
もともと内向的な性格なので、最初は「1人は気楽でいいな」と思っていたのですが……。
次第に寂しさを感じるようになりました。
○1人だと旅行とか非日常な体験をする気になれない

日常生活は1人でも問題ありません。
自分のペースで行動できるので、むしろ楽なくらいです。
問題はそれ以外のこと。旅行に行ったり、新しい場所へ出かけたり…。
そういうワクワクするような非日常な体験を、1人でする気になれませんでした。
だから休みの日は家に引きこもりがち。
(体調が悪くて外出する気力がなかったっていうのもありますが……。)
家にいるのは安心だし、楽しめることもあります。
だけど心の底から「楽しい!」っていう感覚ではないのです。
○1人で飲食店に入るのが苦手

例え旅行に行ったとして、問題は食事です。
観光だけだったら正直1人でも問題ないです。1人で動物園に行くような人です。
でも、1人で飲食店に入って1人で食事するのが、あまりにも心細すぎる……。
1人だとラーメン店や牛丼屋にすら入れません。
観光地のような家族連れや友達同士ばかりの中だと、もっと無理。
○新しい体験は、いつも誰かと一緒だった

よく考えてみたら、ぼくは新しい体験をするとき、いつも誰かと一緒でした。
今では趣味のカラオケも、今では1人で行く好きなアーティストのライブも、最初は仲の良い友達が誘ってくれたのがきっかけでした。
誘われてなかったら、たぶん今でも行っていないと思います。
新しい飲食店に行くときもそう。必ず友達と一緒でした。
○友達のありがたさを実感した

「思っていたより自分一人だと、何もできないんだな……」
関西で一人暮らしをする中で、気づかされました。
そして身近に友達や家族がいてくれるって、本当にありがたいことなんだと実感しました。
関東にいれば、親や友達にすぐに会えます。そうすれば、もう少し人生を楽しめるはず。
だから、関東に帰りたいと思っていました。
「寂しいなら、コミュニティとかに入って、関西で友達とか作ればいいんじゃない?」
って思うかもしれません。
実際、最初に精神科に行ったときに先生からそう言われました。
でもそうしようとは思えませんでした。
その理由は、
- コミュニティとか何かの集まりに入るのが、とてつもなくハードルが高い
- 自分と気の合う人が、なかなかいないように思う
からです。
ぼくがどういう人かというと、
- 内向的。人見知り。
- 大人数の集まりや飲み会が苦手。自分だけ孤立しがち。
- 仲の良い友達以外に自分のことを話せない。
- SNSあんまりやりたくない。
- なるべく夜に出歩きたくない。変な人に絡まれたくないから。
だから飲み会にあまり行かない。 - お酒ほとんど飲まない。
- タバコ、ギャンブル絶対やらない。
だから、新しく友達を作るのは、諦めていました。
その他の退職理由
理由としては大きくはないですが、以下も退職した理由です。
退職理由4 不調により、まわりに迷惑をかけていると感じていた
退職理由1に書いたように、
異動後は適応障害の症状がだいぶ良くなったものの、完璧に治ったわけではありませんでした。
そのせいで、会社やまわりの人に
気をつかわせたり、迷惑をかけてたりしていると思っていました。
例えば、以下です。
- 体調への影響を考えて、遠距離の出張NGを出していた。
- 人と話すのが怖くて、
- 報告や相談がきちんとできない
- 他部署の人と関わろうとしない
- 人にうまく頼れない
「このまま自分がいると、他の人が辞める原因になってしまうかもしれない……。」
そう思って、退職しようと考えるようになりました。
退職理由5 適応障害だった友達が退職して元気になった

ぼくには高校時代からずっと仲の良い友達が東京にいます。
その友達は去年、適応障害で会社を退職しました。
辞めた直後に会ったときは、見ていて心配になるほど元気なさそうでした。
でも時間が経つにつれて、どんどん回復していっているのを目の当たりにしました。
いまでは適応障害になる前と変わらないくらい元気になっています。
その友達の回復ぶりを見て、「自分も退職すれば、もっと元気になるのかもしれない」と、勇気をもらいました。
それに、いま友達も仕事をしていません。自分が退職すれば平日に会えるのです。
「今がチャンスなのかもしれない」と感じ、退職を決意しました。
退職までに行動したこと
ぼくが会社を最初に「会社を辞めようかな」と思ってから、実際に退職するまでに3年かかりました。
その3年の間に、退職を意識してとった行動がいくつかあります。行動したからこそ、退職する勇気が持てたと思います。
以下に、時系列順に取り組んだことを紹介します。
2021年7月 書籍『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』を読んだ

これが退職を意識するきっかけです。
当時、睡眠障害や体調不良に悩んでいる中で、たまたま通った書店で目に留まりました。
その頃のぼくは「鉄道関係の設計がやりたいことで、それができていないから体調に影響が出ているんだ」と信じていました。そのことを確認したくなって、少しだけ立ち読みしてみることに。
すると、書かれている内容に衝撃を受けました。
・本当にやりたいこと = 大事なこと × 得意なこと × 好きなこと
・自分がイラっとすることから、得意なことが見つかる
「いままでこんなこと言ってる人いなかった。これはすごい本なのでは?」
と、少し読んだだけで内容に納得してしまいました。
家に帰ったあと、早速電子書籍でこの本を購入。
読み進めていくと、
「やっぱり今の仕事(当時は異動前)はやりたいことじゃない」
「設計の仕事自体違うのかな?」
って思い始めました。
いまはこの本を買う必要はないです。
本の内容すべてを、著者の八木仁平さん自らYouTubeで無料で解説しています。

2021年12月~ 自己理解をした
適応障害の診断を受け、医師から転職を勧められたことをきっかけに、やりたいことを明確にしようと試みました。
- 書籍「世界一やさしいやりたいことの見つけ方」をもう一度読んで、本の中にある質問に答えた。
- 八木仁平さんのYouTubeやLINEの動画を見て、質問に答えた。
- 「ストレングスファインダー」 を再度受けて、得意なことを探した。
2022年5月~ やりたいこと(仮)を試した

自己理解をしていく中で、自分のやりたいことはこれかなと思うようになりました。
本当にやりたいこと(仮) (当時)
自分の「好きなこと」を調査・分析し、その内容を図や文章を用いて人にわかりやすく伝えることで、人々を安心させる???
- 大事「安心」
- 得意「図や文章でわかりやすく伝える」
- 好き「???(たくさんあって絞れない)」
この時点では、
- 「好きなこと」が絞れていない
- 「得意なこと」は人から評価されたことがあまりない
- 「やりたいこと」が本当にあっているか自信がない
状態でした。
そのため、まずはやりたいことに繋がることを少し学んだり、試したりすることにしました。
- 文書術の本を読んだ(2022年5月)
- パワポ術を学んだ(2022年7月)
- WordPressでブログを作ってみた(2022年9月)
- 作れたものの、記事がうまく書けなかった
- 職場で手順書をパワポで作った(2022年10月)
試した結果としては、機械設計の知識を付けるより意欲が湧くものの、
結局「好きなこと」が絞れず、「本当にやりたいこと」も確信が持てないままでした。
2022年9月~ 転職活動をした

適応障害になってからずっと「関東に帰りたい」と思っていたので、関東に帰るために転職活動を始めました。
自己理解の結果、やりたいことは機械設計ではないとわかっていましたが、職種は機械設計のまま、勤務地だけを変える方針でした。
- YouTubeで転職について学んだ(2022年9月~2023年1月)
- 職務経歴書作成(2022年9月~2023年1月)
- 転職エージェントに登録して求人検索(2023年1月)
- 転職エージェントのキャリアアドバイザーと面談(2023年2月~3月)
転職活動をした結果、転職するのはやめました。
理由
- 求人を見てもやりたいと思えない。
- 条件ばかり気にしてしまう。条件を比較すると転職しないほうがいい。
- 製造業かつ設計である限り、関東だろうと勤務地は都会から離れた場所になる。結局住みたい場所に住めない。だったら関東でも関西でも大して変わらない。
結局、やりたいことが明確になっていないのが問題なのです。
先にやりたいことを明確にして、もしも転職するなら「やりたいこと」のほうが良いと思うようになりました。
2023年3月~6月 自己理解プログラム受講
八木仁平さんの本や動画を読んで、「これがやりたいことかな?」と思うものは見つけました。
でも、それは自分一人で考えたことです。「本当にこれでいいのかな?」と確信を持てていませんでした。
自分のやりたいことに確信を持ちたくて、以前から気になっていた自己理解プログラムを受講することにしました。
- 3ヶ月でやりたいこと探しを終わらせるプログラム
- 12回の自己理解コーチングと毎日のLINEを通して、コーチとともに
「大事なこと」「得意なこと」「好きなこと」「本当にやりたいこと」を
明確にしていく
ぼくは自己理解プログラムを受けて、「心の底からよかった!」と思っています。受けたことで人生変わったと思います。
ですが、他人にはおすすめしづらいと思っています。少なくとも万人受けするようなものではありません。
ぼくのように、仕事で深い悩みがある&自己理解が好きな人でないと、費用の割に効果を得られないんじゃないかと思います。
- 納得感のある「本当にやりたいこと」が見つかった。
- コーチの言葉に勇気づけられた。仕事の悩みが解消した。
- 仕事で「得意なこと」を活かせるようになった。
受講前より褒められることが多くなって自信がついた。 - 自己理解する思考と習慣が身に付いた。やりたいことの選択肢の絞り方がわかったので、明らかに前より迷いづらくなった。
2023年6月~2024年6月 やりたいことを試した
自己理解プログラムで見つけたやりたいことを少しずつ試しました。
会社は辞めず転職もしない方針だったため、仕事以外の時間を使って趣味のレベルで取り組みました。
本当にやりたいこと (当時)
細かいことを気にしすぎて、やりたいことに集中できず悩んでいる人に対して、
安心してやりたいことに夢中になって生活できるようにするために、
自己理解をわかりやすく整理して伝える。
- 自己理解(特に才能)に関する情報を集めた
- ブログの書き方を学んだ
- デザインを学んだ
- 文章術を学んだ
- 生成AIの使い方を学んだ
- ブログを開設した
- ブログ記事を書いた
(30,000文字の記事1つと15,000文字の記事1つの合計2つしか書けなかった)
※ブログは「やりたいこと」の実現手段の1つ。
「やりたいこと」がブログというわけではありません。
2024年7月 退職後の理想を考えた

もう一度体調不良になったタイミングで、退職しようか迷い始めました。
「せっかく退職するなら、一度自分の理想をすべて叶えよう!」
と思い、退職後の理想を書き出しました。
退職後の理想
- まずは体調回復に努める。原因を探る。
- やりたいことを全部試す
- 実家の近くに住む
- 友人や同期に会う
2024年8月 退職後のお金の計算

次の仕事を決めないで退職するつもりだったので、不安はたくさんありました。
特に不安だったのが金銭面。
そこで、退職後はどれくらいお金がかかるのか算出しました。
退職後のお金の計算(高めに見積り)
一人暮らし [円] | 実家 [円] | |
家賃 (月) | 65,000 | 20,000 |
食費 (月) | 20,000 | 5,000 |
水道光熱費 (月) | 12,000 | 0 |
通信費 (月) | 7,000 | 4,000 |
住民税 (月) | 15,000 | 15,000 |
年金 (月) | 20,000 | 20,000 |
健康保険料 (月) | 30,000 | 30,000 |
他 (月) | 30,000 | 20,000 |
月合計(1年目) | 180,000 | 114,000 |
年間(1年目) | 216万円 | 137万円 |
月合計(2年目) | 140,000 | 74,000 |
年間(2年目) | 168万円 | 89万円 |
2年間の合計 | 384万円 | 226万円 |
400万円貯金があれば2年無職でも問題ないことがわかりました。実際退職時には、その2倍の貯金があったため、お金の不安はなくなりました。
2024年8月 退職前後の計画を立てた
退職手続きの本を読んだり、YouTubeを見たりして、退職前後でどんな手続きがあるのか調べて計画を立てておきました。
●読んだ本
『2023-2024年版 図解わかる 会社をやめるときの手続きのすべて』
中尾 幸村、中尾 孝子著 新星出版社
▼退職を上司に報告する【会社】
▼不動産or管理会社or会社に退去すること伝える
▼退職届けの作成・提出【会社】
▼物件探し
▼引越し業者から見積りをとる
▼賃貸解約手続き所記入
▼物件本契約
▼給与明細・源泉徴収票の保存
▼ネットで転出手続き
▼郵便物の転送手続き
▼水道・ガス・電気の停止連絡、新規契約
▼インターネットの移転手続き
▼NHKの移転手続き
▼住民税の支払い方法の確認
▼家の片づけ
▼業務の引継ぎ【会社】
▼自席の片づけ【会社】
2024年9月 不安を埋めるために本を読んだ

「会社辞めたい。関東帰りたい。休みたい。でも怖い……。」
一度は退職を決めて、計画を立てたものの、やっぱり不安。
「やっぱり、このまま続けようかな」と迷う日々でした。
「このままでは永遠に迷い続けるだけだ」と思って、背中を押してくれそうな本をいくつか読んでみました。
読んでみると、「退職してよかった」と言う人も多くて、少し心が軽くなりました。
- 『仕事のモヤモヤに効くキャリアブレイクという選択肢』北野 貴大著 KADOKAWA
- 『会社を辞めて生き方を変えることにした』すずひら著 Kindle版
2024年11月 親にメッセージを書いた

2020年に体調悪くなって以降、親には「会社を辞めたい」と伝えていました。
親はいつも「あなたの人生だし、あなたの好きにしなさい」と言ってくれていました。
でも実は、
- 精神科に行ったこと
- 適応障害になったこと
- 転職先を決めていないこと
- しばらく休みたいこと
これらは親に伝えていませんでした。
「この際だから自分の思いはすべて伝えよう」と考え、会社を辞めるまでの経緯と今後の予定を、全部メモに書いて母に送りました。
正直「親から見捨てられるんじゃ……」という不安がありましたが、そんなことはなく、「つらい思いをさせてごめんね」と謝られました。特に母はなにも悪いことしていないのに。
結果的には実家に住めたし、自分軸でやりたいことをできているので、勇気を出して伝えてよかったです。
実際辞めてどうか(簡単に)
退職してどうだったかや、退職前後の変化を簡単に紹介します。
この記事を書いた時点で退職してから3ヶ月経っています。
感情面
- 退職したことに後悔はない。
退職しないとわからなかったことが多いし、退職したことでやっと前に進んだ感覚。
辞めていなかったら、今もずっと悩んでいると思う。 - 寂しさや不安はある。なるべく今後のことは考えないようにしているが、「自分は大丈夫なのだろうか……」とつい考えてしまう。
- 買い物が億劫ではなくなった。
実家暮らしなので食材を買いに行く必要がないからかも。 - 人への怖さが少し薄れた?
親と友人以外に人と関わっていないからかも。
体調面
- 何もしていないのに、身体のかゆみがなくなった。
- 睡眠不足になる日がほとんどなくなった。だけど寝つきが悪い日はたまにある。
- お腹の調子もよくなったが、完璧ではない。
緊張するとお腹が痛くなるのは変わらない。
他
- テレビをあまり見なくなった
- YouTubeを見て時間をつぶすことがなくなった
- 甘いものをあまり飲まなくなった
今後のこと
ぼくが退職前に決めていた、退職後の目標は以下です。
- 体調不良の原因をはっきりさせる
- やりたいことはすべて試す
この目標を達成するまでは、今後のことを考えないと決めています。
原因を突き止めないと、また不調に悩む

ぼくが退職した一番の理由は体調不良です。
しかし、その原因が何なのか、はっきりとはわかりませんでした。
原因がわからないまま新しい仕事に就いても、また同じように体調を崩すかもしれません。 それはどうしても避けたいのです。
だから、毎日体調の変化をよく見て、原因を突き止めたい。
その後、不調の原因を取り除けるような、今後の道を選びたいと思っています。
やりたいことを試さないと、今後を決められない

退職後にやりたいことは3つありました。
この3つすべて試した結果どうだったかによって、今後進む道が変わります。
だから今後どうするかは、今決められません。
「今」に集中したい

ぼくはつい未来のことを心配してしまう性格です。
先の見通しが立たないと、不安になります。
でも、やりたいことを我慢して、焦って就職しても、きっと後悔すると思います。
以前と同じように、モヤモヤしてしまう気がするのです。
だから、今は今後のことは考えないようにしています。
目の前の「やりたいこと」に集中する。
「今」の一日一日を大切に過ごしていけば、「未来」の道が見えてくると信じています。